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結局俺が災害救助に携わったのは三日間だったが、この三日間の事は生涯忘れられないだろう。


日本には新たな《友人》も出来た。

昌代さんの息子、小林孝顕君は、あの日たまたま学校が早く終わり、友人から『遊びに行こう』と誘われたが断り真っ直ぐに帰宅し、その直後、靴を脱ごうとした時に地震が起きたと言う。
すぐに足の悪い自分の祖父をおぶって近くの高台に避難した。

昌代さんの家は海から5キロ近く離れていて、高台へ続く緩やかな坂の中腹にあった。
ハザードマップでは津波は届かないとされていたが尋常ではない地震の揺れに予想よりも大きな津波が来るかも知れないと咄嗟に居間で地震の片付けをしていた祖父に上着を数枚重ね着させておぶって坂を上ったと言う。

普段は家族の誰とも口をきかないような少年だったが咄嗟に動いていたと言う。
高校卒業後は都会に出て、大学も就職も都会でするつもりでいたのだがあの震災で考えが一変したらしい。
大学も地元の大学に通い、就職も地元に決めた。


亜季さんの夫、中田忠義さんは地震が起きた時はまだ職場にいて、揺れがおさまってから亜季さんと生まれたばかりの娘が気になって車を出した。
すぐに海岸方面から内陸に向け逃げる人々に気づき、身の危険を感じ引き返したと言う。
途中で足が悪いのかゆっくりと歩くおばあさんと女性に出会い、二人を車に乗せてとにかくより内陸に、より高台へと避難した。

その結果俺が救援作業をした範囲よりもかなり外れた避難場所にたどり着き亜季さんのもとに戻るのに時間がかかってしまったようだ。



震災翌年の秋だった。
当時まだ皇太弟だった殿下と姫が日本を公式訪問をした。
その時被災地にも足を運び、昌代さんや亜季さん、そして珠安ちゃんと面談し、俺は彼らに再会した。


昌代さんの自宅は津波が庭先まで到達したものの家屋に被害はなく、亜季さんの暮らしたアパートは津波で流されていた。
小、中学時代の同級生で元々実家もご近所同士だった亜季さんと忠義さんのアパートは互いの実家まで徒歩で5分程内陸にあったと言う。
つまり亜季さんの実家、忠義さんの実家も共に津波に流されてた。
家だけでない。
忠義さんの94歳の祖父と忠義さんの母も家ごと流されて命を落としていた。


殿下と姫は亜季さんたちのほか、津波で子供を亡くした母親やいまだに行方不明の娘を探す父親と面談した。

まだ痛々しい爪痕を遺す街は、それでも前に進もうと立ち上がった人たちの笑顔がそこかしこにあった。

「まだ本当の気持ちでは笑ってなどいられない。でも、笑って街を再生させなきゃ死んでいった人に顔向け出来ない。」
そう誰かが言った。

「多くの命を奪った海から離れようとは思わないのですか?」
涙でグショグショの姫が問う。
「むしろ私は息子が還っていった海をずっと見ていたいんです。」
そう子供を亡くした母親が言った。

「あそこに息子がいるんです……今も。」


俺は思った。
自然の偉大な力の前に人は無力だが、それでも人には立ち上がる力があると。

俺は彼らのその力を信じたい。

きっとまたこの街は元の生活を取り戻すと……。

今回はジュアンと珠安ちゃんの対面は叶わなかった。
しかしいつか必ず実現させたい。
そう誓って俺たちは被災地をあとにした。

「人って……強いね……?」
乗り込んだワゴン車の中で姫がポツリ呟いた。

ーーもう一人の珠安 完ーー